新庄剛志さんが、連日話題になっていますね!
日ハムの新監督になり、改めて素晴らしい人間性が評価されています。
新庄剛志さんは、長崎県出身で現在49歳、幼少期はかなりの貧乏だったとも言われています。
どんな生い立ちなのか、気になりますね!
今回は、新庄剛志さんの生い立ちは、父親がスパルタで、高校時代まではかなりの貧乏生活だったことが分かりましたので、詳しくまとめてみましたよ!
新庄剛志の生い立ちに号泣!
新庄剛志さんの生い立ちが、号泣もののエピソード満載でしたので、詳しくまとめてみました。
新庄剛志は長崎で出生
新庄剛志さんは、1972年に長崎県の母親の実家で生まれ、福岡県で育ちました。
家族構成は4人で、父親が造園業を営んでいたものの、あまり裕福な家庭ではなかったとか。
父親:新庄英敏(ひでとし)
母親:文子(ふみこ)
姉:真由美
新庄剛志
新庄剛志さんは、体重は3680グラム、生後10ヶ月で歩き始めたということで、かなり体格に恵まれていたんですね。
父親と母親は、貧乏ながらも子供への愛情をたっぷり注いでいたとか。
- 人の悪口は言わない
- 「いただきます」「ありがとうございました」をしっかり言う
このように、人間性や上下関係については、幼少期から親にしっかり教育されていたと話されていました。
新庄剛志さんの父親や母親は、どこに行ってもやっていける人間に育てたかったんでしょうね。
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新庄剛志は小学生時代から負けず嫌い
新庄剛志さんは、小学生時代から負けず嫌いだったことが分かりました。
プロ野球選手の夢を新庄剛志さんに託した父親は、小学生に上がった頃から練習に付き合い、教え込んでいたということ。
坂道でのキャッチボールでは、坂の上にいる新庄剛志さんに、父親が下から思い切り球を投げ、
「横着せずにボールが戻ってくる前に追いつけ」
と走らせていたんだそう。
新庄剛志さんは、泣きながらも弱音を決して吐かなかったといいます。
また、実家が造園業を営んでいたことで、石碑を運ぶ作業を手伝い、肩の強さを身に付けていたとも言われていました。
このエピソードだけでも、新庄剛志さんの負けず嫌いの性格が伝わってきます。
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新庄剛志の中学生時代の試練
新庄剛志さんは、小学生時代に培った肩の強さや足の速さなどが、他の生徒と桁違いにすごいとしてかなり高い評価を受けていたということです。
しかし、中学生時代の監督は、試練を与えるため、2年生のときの全国大会のベンチ入りメンバーから外したとか。
当時の新庄剛志さんは、これにかなりのショックを受け、帰宅したと同時に自分の部屋に閉じこもり泣いていました。
プロ入り後、この試練があったからこその今だとし、「監督は恩人」と言及していました。
新庄剛志さんは、負けず嫌いだったことから、逆境に打ち勝とうと努力してプロ入りの実力をつけたのだと思いました。
新庄剛志は高校生時代に甲子園へ出場できず
新庄剛志さんは、父親のすすめで、野球の強豪校である西日本短期大学附属高校に進学します。
3年生のとき、全国大会地方予選の4回戦で、高校時代初のサヨナラ安打を記録し、コールドゲームで決勝戦に進みます。
決勝戦でも、初のサイクル安打を達成する偉業を成し遂げますが、負けてしまい甲子園には出場できませんでした。
新庄剛志さんが甲子園に1度も出場していないことには驚きましたが、ここでも負けず嫌いからポジティブに前進したと思うと、パワーの強さを感じますね!
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新庄剛志は「特選A」でタイガースから指名
新庄剛志さんは、ドラフト会議で阪神から5位指名を受け、「打力:B 走力:A 肩力:特選A」の高評価をされていました。
肩の強さは、スカウトが高校生に対して初めて特選Aをつけたということで、規格外だったことが分かりますね!
ジャイアンツのスカウトマンからは、3位までには指名できると言われていたとの話もあり、ショックを受けたとか。
しかし、新庄剛志さんの負けず嫌いな性格上、上を目指して努力する方が性に合っているのではないかと思いました。
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新庄剛志の父親がスパルタ!
新庄剛志さんの父親は、福岡で植木職人として造園業を営んでいました。
野球に関しては、かなりスパルタだったということでしたので、エピソードをご紹介します。
新庄剛志さんを、どうしてもプロ野球選手にしたかったとのことでしたので、スパルタになってしまったんでしょうね!
また、かなり破天荒だったということで、家庭でのエピソードもまとめてみました。
新庄剛志さんの父親は、息子とお酒をこよなく愛する方だったんですね!
新庄剛志さんの野球の練習用に革手袋を買ったために、自分の仕事は素手で行い、ザラザラに荒れてしまったエピソードは号泣ものです。
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新庄剛志の母親も気性が激しかった
新庄剛志さんの母親も、父親の英敏さんに負けないくらい気性が激しかったということでした。
気が強かったため、何かと父親と衝突していたとか。
ある日、飲んで帰ってきた父親に寝ているところを起こされ逆上した母親は、台所から包丁を持ち出し、刺そうとしたとか。
合気道の心得のある父親が避け、包丁を持っている手を返して投げ飛ばしたとのことですが、再び包丁を持って飛び込んできたということです。
その後、しばらくは大人しくなった新庄剛志さんの父親でしたが、何とも豪快な夫婦喧嘩ですよね!
こんなことがあっても、新庄剛志さんの父親が天国に旅立つまで添い遂げたとのことですので、気が合っていたのは間違いないでしょう。
新庄剛志の高校時代までの貧乏エピソードも
新庄剛志さんの幼少期から高校時代までの貧乏エピソードも号泣ものでしたので、まとめてみました。
貧乏エピソード①おかずがゆで卵1個
新庄剛志さんが子供のころは、貧乏だったために朝食はなしで、学校給食で栄養を満たしていたとか。
さらに、夕食がゆで卵1個のこともあり、野球少年には辛い食生活だったと思います。
貧乏でお金がなかったこともありますが、新庄剛志さんの母親は低血圧で、作れなかったのではないかとも回想されています。
そんな幼少期でしたが、たまに母親が作ってくれるきなこ餅が新庄剛志さんの大好物。
後のインタビューでは、「甘くて最高。ずっと噛んでいられる」と話していました。
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貧乏エピソード②窓ガラスにビニール袋
新庄剛志さんの家庭は、窓ガラスが割れても入れるお金がなかったとか。
家の窓ガラスが割れても、入れ直すお金なんてなかったから、冬はビニール袋をはって窓をふさいでいた。 なぜか、クルマの窓も同じようにビニールをはっていた。
出典元:cakes
「なんでうちだけ、クルマが走るときにパタパタ音がするんだろう?」と思っていた。
冬は、かなり寒かったでしょうね!
しかし、ビニール袋で補修した家でも家族仲良く暮らして野球選手を目指せるというあたり、愛情があふれていたんだと想像できます。
貧乏エピソード③スパイク代わりに上履き
新庄剛志さんは、貧乏な家庭に育ち、スパイクが買ってもらえなくても、着実に野球の実力を身につけていきました。
スパイクがなかったので、学校の上履きをゴムがブヨブヨになるまで使い込んだといいます。
スパイクがあれば、もっと練習に集中できたのかもしれませんが、新庄剛志さんの活躍を見ていると、道具が全てではない、と分かりますね。
貧乏エピソード④運動会は裸足
新庄剛志さんは、スパイクだけではなく運動靴もまともに買ってもらえなかったため、運動会は裸足だったとか。
しかし、運動靴が買ってもらえない、という理由だけではなく、「気合いを入れるため」でもあったというんですね。
結果はぶっちぎりの一番だったというので驚きです!
さらに母親からは
「あんた、靴はズレようが(ズレるからダメよ)。裸足が一番速い!」
と言われたことで、うれしくなったんだと思います。
新庄剛志さんの父親や母親は、貧乏な生活ながらも、子供の自立心や自尊心を育てる素晴らしい子育てを実践されていたことが分かりました。
新庄剛志さんは、生い立ちから学んだ精神を、監督として選手たちに活かしていかれると思いますので、今後も注目していきたいと思います!